❷卒業と入院、人生初の手術へ。
こんばんわ!
初めましての方もいるかと思います。
札幌でバスケの活動と勉強をコツコツと行っております。
咲幸(サユキ)と申します🐨
前回のブログを読んでくださった方、ありがとうございました!
まだな方は今回のブログを読む前に、是非1つ前のブログを読んでから今回の話を読むことをオススメします!
皆さんのおかげで前回のブログの閲覧者数が100人を超えました!!
本当にありがとうございます😭
そして、個人的に感想やアドバイスをくれた方々、応援メッセージなど本当にありがとうございます。
これからも続けてまいりますので、よろしくお願いします。
今回の話も実話の話で、前回の続きになります。
少し痛々しいかもしれませんが
ご了承ください。
怪我を軽度の時に完治する大切さ。
周りのサポートの有り難さを皆さんなりに汲み取っていただけたら、幸いです。
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中学校3年生最後の登校日。
みんなは登校して早々、ブレザーの左胸にピンクの華を付けていた。
アルバムに寄せ書きし。これまでを振り返り涙しているクラスメイトもチラホラ。
音楽と校内放送で廊下に並び式に向かう。
無事に卒業式が終わり、クラスに戻り3年生が下校となります。
そこには先輩のボタンや名札を貰うために寒い中待っている後輩が沢山居ました。
サッカー部やバスケ部、バトミントン部の人も沢山ボタンなど持っていかれていました笑
私も嬉しいことに、ワイシャツのボタンまで取られて行きました笑。
もちろん。第2ボタンは女子バスケ部の可愛い後輩Kにあげました笑
その次の日から、手術の為に入院しました。
担当階の元気なナースさんと、リハビリの先生が病室まで挨拶しに来てくれました。
母は服や歯ブラシを届けてくれました。
初めての入院はとても怖かったです。
お化けとかも当時は怖かったです。笑
3日後には手術。そんな事を考えると眠れない日も続きました。
そして手術当日。
私の場合は全身麻酔で行う事になりました。
移動ベットで手術室に入ります。
ドラマで見るような場所で、麻酔科の先生が説明を始めます。
「佐藤さーん!麻酔科の○○です!今から腰に注射を打ちます。とても痛いんだ?でも、2秒後ぐらいには眠たくなって、起きたら病室にいるから安心してねー?😊」
いや、そんな楽しそうに淡々と話されたら…っと笑っていたのもつかの間。
左側を下にして横になり、少し体育座りをしたような体制になった…次の瞬間。
とても太い注射針で腰の脊髄に麻酔を打ち始めました。
(いっっった!!!!)っと感じたのと同時に冷たさも感じました。
体制は仰向けに戻り、瞼が重くなり、1…2…。
スっと深い眠りにつきました。
目を開けると…病室に寝ていて、酸素マスクが繋げられていました。
目を覚ますと直ぐにナースさんがきて、酸素マスクを外し沢山話しかけてくれたのを覚えてるのですが、麻酔が取れていないので何を言ってるか覚えていませんでした笑。
手術後の私の脚は両足、感覚がありませんでした。
下半身麻酔を継続していたそうです。
手術終わり男友達2人がお見舞いに来てくれました。食べ物を買ってきてくれ、夕方で面会時間は終了。
その日は足の激痛でご飯が喉を通らなく、お見舞いのプリンなど食べやすいものを食べました。
消灯時間になる前。
そこで私はナースさんに無理なお願いをしました。
「下半身の麻酔をとってください。」
手術後の痛みは成人男性でも悲鳴を上げるほどの痛みらしく、本当にいいの?っと何度も聞かれたのですが、私は自分の足が感覚がないことが気持ち悪く耐えられませんでした。
話をするとすぐに麻酔をとってくれました。
痛みは5分程ですぐにやってきました。
私は激痛に耐え、脂汗をかきながら
必死に痛みを堪えていました。
私がタオルを噛んで、痛みを耐えてるのを
見かねて、可愛がってくれていた
隣のベッドのおばあちゃんが深夜に
ナースコールをしてくれたこともありました。
その痛みに私は丸3日間寝ることが出来ませんでした。
妹のように接していた従姉妹のTはほぼ毎日お見舞いに来てくれていていました。
Tは私を心配してお見舞いに来てくれた友人と話したり、私が仮眠できるようすぐ側に居てくれていました。
色んな人がお見舞いに来てくれてたり、
家族や先生のサポートもあり手術後2週間でリハビリが始まりました。
ということで今回はここまでに。
次回より短めなのですが、長く読んで頂くため少し短くさせて頂きました!!
次回は手術後の経過・リハビリ・病院から学校の通学、そして選手へ復帰をお話したいと思います!
今回もお付き合い頂きありがとうございました☺️
また次回、読んでいただけると幸いです。
次のブログもよろしくお願いします🐨